インデペンデンツクラブ静岡 参加者から

2016年07月22日

スポーツスクールのトップ戦略

8月5日(金)14時から インデペンデンツクラブ静岡を、静岡新聞社本社18階で開催。
参加者のインタビューをお送りします。
http://www.independents.jp/event/item000248#index

【小山 淳】
1976年10月静岡県藤枝市生まれ。
藤枝中時代、1年時には13歳以下の日本代表副キャプテンとして世界少年大会で優勝。2年次には全日本ジュニアユース大会を優勝。3年時にはU-15日本代表として中田英寿らと韓国遠征に参加。藤枝東高校では1年時の全日本大会決勝で2得点をあげ優勝。
早大進学後に左足首を負傷。選手生命を絶たれる。世界33カ国放浪の後、IT業界へ転進、2002年にJプレイヤーズを創業。
2009年7月に日本発のネットオーナーシステムを取り入れた革新型クラブ「藤枝MYFC」を創業。

―スポーツビジネスへの挑戦
真剣にスポーツを産業化しようとする人はまだ少ないのが現状ですが、スポーツビジネスへ挑戦する若くて優秀な人は増えています。当社グループは、サッカーチーム、スクール、ネット事業を運営しており、あと3年でJリーグチームを作り、同時に子ども向け教育・スポーツ企業として展開していきます。当社の経営理念は「咲かせようスマイル つなげようスポーツで」、人材を育成しながら日本を、社会をスポーツで変えていきたいと考えています。

―大人になる上で必要な社会性を教える
子どもたちに、挨拶などの躾やルールの遵守など“スポーツを通して大人になる上で必要な社会性を学んで貰う“のが、当社スクールのコンセプトです。スクール料金は月6千円から7千円程度で、対象は4歳から8歳までが主な対象。教室は1箇所平均15名の生徒がいて、現在は70箇所あります。指導者は一人あたり週5回、5箇所を受け持ちます。

―子ども向けスポーツスクールの成功例
上場会社では名古屋本社のクリップコーポレーション(JQS:4705)、未上場ではリーフラスが年商30億円で3万人近くの生徒がいます。そして、関西のNPO法人アミティエが生徒数6,000人。当社はまだ足元に及びませんが、この1年半で静岡と東京で、1,000人の生徒を獲得、売上も1億円以上と順調に推移しています。経費の半分が人件費で、固定費は事務経費・宣伝広告費という収益モデルです。収益は指導者への更なる教育に投資し、子どもたちにとってより良いスクールをたゆまなく作っていきます。

―スクール運営のプロが参画
株式会社スクールパートナーが当社グループに参画し、事業展開が一気に加速してきました。代表の橋野氏はクリップコーポレーションの福岡支社開設やリーフラス設立に関わった人物です。サッカーにもまったく縁がなかった人間ですが、彼の指導でスクール事業は東京500名・静岡500名に増えました。

―サッカークラブを持つ理由はスクールの競争に勝つため
スクール事業の人材育成とブランド力をつけるために、Jリーグのチームを持つべきというのが橋野氏の考えです。先生からプロの選手も育てます。指導者20人のうち4人がスクールと兼任する選手です。指導者は正社員として雇用しています。Jリーグチームも自分たちのサッカースクールを持っています。あるJチームのスクールには3,000人以上の生徒がいると聞きます。売上30億円なら1割はスクールが稼ぐ、彼らは選手の副業として先生を兼務させていますが、当社はあくまでスクールが第一です。

―プロサッカー選手を目指していた青春時代
小中高時代は日本サッカーユース代表でした。中田英寿氏とは一緒にプレーした仲です。大学進学かJリーグか迷いましたが、父よりサッカー協会の会長になりたいのなら早稲田に行けと言われ、早稲田大学の人間科学部スポーツ科学科に推薦入学しました。しかし1年後に試合で大ケガ、骨が折れたままプレー続行した上、手術にも失敗しました。それからは注射と上半身筋トレのリハビリ生活の毎日でした。今まであれほど努力した事はありません。そして2年後に選手生命の終わりを他のドクターに教えて頂きました。今となっては、あの時に早く真実を知ってよかったと思っています。ドクターに感謝しています。

―世界を放浪して気付いたこと
それからサッカー部を辞め大学も中退し、1年間で120万円貯めて世界33ヶ国を放浪しました。次に自分が燃えるものを探したかったのです。旅行中に3回強盗に合いました。いきなり殴られて金を盗られました。世界中にいる貧しい人たちがとても強烈でした。自分のゴールは見つかりませんでしたが、二つの事に気づくことができました。一つは日本という素晴らしい国に生まれ、サッカーをやれて自分は幸せだったということ。もうひとつはベトナム、カンボジアなど世界中どこでもインターネットが繋がる素晴らしさです。

―PCスクールから起業する
帰国後は知人が勤めるパソコンスクールを手伝い、1年後にFC独立しました。開業資金は貯金と国民金融公庫から借りた300万円だけでした。私の父は静岡新聞社に勤め、母親は高校の音楽講師です。祖父は金物屋店主で、93歳になる今も頑張っています。もう一人の祖父は会社を倒産させてしまいました。在庫を持つ商売はやめろ、と言っていたのを思い出します。とにかくひたすら仕事に打ち込みました。しばらくしてPCスクールの収益が安定してからは毎週、東京のネット専門学校に通いました。
WEB開発事業を始めてからは東京にも進出しました。サッカーとは無縁の日々でしたが、ある日偶然TVで藤枝東高校の1年先輩である山田暢久(現浦和レッズ)選手が日本代表に選出され、堂々とプレーをしている姿を見ました。彼のHP運営を手掛け、それが評判をよびました。そのサイトの評判で営業しなくても受注が相次ぎました。そこで愛読誌であったサッカーマガジンのウェブ化も、当社が制作費を全額負担し、広告で収益を得るモデルで手掛けました。しかし、こちらは制作負担に耐えられず約2年で契約終了とともに撤収しました。マス媒体を扱ったことにより、逆にローカルの強さを感じることができ、人々の生活単位である地域にとっては良いクラブが必要であると確信しました。

―藤枝からJリーグを目指す
2009年に地元サッカーチームを藤枝東高校の先輩から譲り受けました。そこに資金と選手を集め、Jリーグのトップチームに創り上げようと計画しました。日本サッカーリーグはプロのJリーグ(1部・2部)が38チーム、3部リーグ(JFL)が18チーム、東海・関東などの9地域リーグチーム(1部・2部)は全国100以上、最下部で12部くらいまであり、およそ社会人だけで7,000チームほどあるのではないでしょうか。当初は6部リーグでしたが、現在は4部(東海1部リーグ)におり2年連続優勝しています。

―インターネットで資金調達を計画する
英国ではインターネットで1億円を集めたクラブがあり、それを知ってすぐロンドンに行って調べました。しかし日本では出資法の問題からインターネット上での出資募集はできません。最初は地域を主体に資金を集めています。当社はネットオーナーシステムという会費モデルで資金を集め、運営に係る投票権を一般オーナーの皆様に提供しています。今はスクール事業も非常に伸びており、早期に黒字化すべく頑張っています。

―強いだけでは生き残れない時代
サッカーチーム運営においても収支があってこそ成り立ちます。Jリーグは47都道府県への普及が第一で、J2からの降格もなく経営が苦しいクラブも保護されてきました。しかし、このままではJリーグ全体が深刻な状態になると危惧しています。これからはクラブの自立が求められます。チケット、スポンサー収入だけでなく、スクール事業他確固たる収益事業の確立がクラブ経営には必要となります。サッカーが強いだけでは生き残れません。

―世界一を目指してはいない
世界一を目指してはいませんが、アジアのトップクラスに必然的になれる取り組みをしています。これが10年前だったら難しかったかもしれません。今の若者は安定志向が強い気がします。それは時代の流れです。プロ(Jリーグ)には自分の未来が見えない、優秀なサッカー選手は大企業への就職を選ぶ。アマチュアの最高峰であるJFLでも優秀な選手は十分に集まります。ホンダはJ2でも勝てる実力がありますが、本田宗一郎の意向で敢えてプロチームにはなりませんでした。Jリーグを目指すトップチームも、経営の安定したスクールもあるという事であれば優秀な選手が自然に数多く集まってきます。

―スポーツビジネスに興味を持つ若者たち
創業2年ながら新卒募集をしたところ、4,000人近くのエントリーがありました。一流大学の学生も多く集まります。スポーツビジネスの経営に関わりたいという一流企業からの転職応募者もいます。J3やJ4の地域チームはサッカーが好きな人の就職先として非常に人気があります。6年後にはスクール生徒1万人が目標です。

―「サッカーのまち藤枝」を成功モデルにしたい
サッカービジネスを地域経済の核として、20万人商圏にひとつトップチームとスクールを創れると考えています。全国の都市に展開するのが藤枝MYFCの構想です。サッカープレイヤーは登録者数だけで全国80万人以上おりフットサルも入れれば数百万人、サッカー場は数万人収容できる集客力があります。サッカー市場の大きさや伸び率はとても魅力的です。スポーツと文化は必ず残ります。ヨーロッパがそうです。将来はバスケットボール、野球などあらゆるスポーツ、スポーツクラブに当社の経営ノウハウを提供できるようになりたいと思います。

―本は年200冊以上読みました
小学4年生のときにメキシコワールドカップのマラドーナにもの凄く感動しました。その時に、将来は日本サッカー協会の会長になりたい、そして世界で勝つための環境を作りたいという自分の夢が決まりました。Jリーグの選手向けにセカンドキャリアについて講演する機会があります。皆本当に真剣に話を聞いてくれます。スポーツビジネスに携わりたい方々の礎にもなれるよう毎日勉強の日々です。そのためにも年200冊から300冊は本を読みます。14年前のあの時からもう3,000冊になります。

【事業計画発表】2013年6月24日 静岡インデペンデンツクラブ 

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